手相の基礎
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鑑定士物語

1991年創設以来、東明学院からは次々に素晴らしい運命コンサルタントが巣立っていきました。
東明のレジェンド(伝説)たちの数々の名鑑定や温かみのあるヒューマンストーリーをお楽しみください。

大塚 寿水先生
大塚 寿水先生

鳥肌ものの奇跡の鑑定

2016年07月14日更新

疑惑のマンション購入にストップ

渋谷店に高齢の母娘が来店されました。娘さんの方は60歳を過ぎて独身。おかあさんは我が子の行く末をとても心配し、マンションを買って残してあげたいと考えていたのです。持参した物件案内を見せてもらうと、確かにお買い得の掘り出しものです。でもおふたりとも、ちょうど天中殺。購入のタイミングが最悪でした。

「申し訳ありません。今はことを起こしてはいけない時期なんです。なんとかあと2~3年間待ってください」
おふたりは「どうして…?」と、ご不満の様子でしたが、大塚先生も鑑定には確信があります。

くれぐれもマンションの購入は見送るように勧めました。そして数か月後に、ニュースを見て「エッ!」と絶句するのです。おふたりが購入を検討していた物件は、姉葉建築士が耐震構造の計算を偽装したものだったのです。
「自分でも怖くなって鳥肌が立ちました」

“私がやってよろしいでしょうか!”

ご主人が会社を起ち上げ、業績が好調な頃は優雅な専業主婦の生活を満喫していました。派手に着飾り、ポルシェやモーガンなどの高級スポーツカーを操り、ドライブを楽しむ日々でした。

不動 ふき先生

「私はあまり興味がなかったんですが、主人がとても車好きだったんです。朝子供を学校へ送り出したら、東名高速道路を飛ばして山中湖まで走り、今度は中央高速に乗って下高井戸で降りると、そのままスーパーマーケットで買い物をして夕食の支度をする。主人は昨年亡くなったんですが、良い思いをさせて頂きましたね」

大塚先生は、もともと人と接するのが大好きで、家庭にこもるのではなく社会に出て働きたいと思っていました。
「でも主人は、自分の会社には一切かかわらせてくれません。大きなマーケットリサーチ会社に勤めるママ友がいて、あなたもどう?と誘われるままに、週に1度表参道に通うようになりました。初めてのOL体験。当時最先端のコンピューターを扱う技術も習得しました。でもどんどん勤務日数が増えてきて、とうとう忙し過ぎて身体を壊してしまったんです」

ようやく体調が戻った頃に就職雑誌をめくっていて、東明学院の事務募集が目に留まります。早速面接を受けて採用になりました。
「授業料や日程表の管理などをしていました。でも東明先生が、必ず将来役に立つから(運命学)の勉強をしておけ、と言うんです」
この頃は夜間授業があったので、大塚先生は昼間働き、夜は勉強と、またまた多忙な日々に逆戻りです。

「当時東明先生は100社近い上場企業の通信鑑定をしていました。それをワープロで全て打ち込み原稿にして、FAXで送り返すのが私の役目でした。それに学院ではテストの作成もしていたので、自然に手相鑑定のノウハウは身につきました。そして同じ頃、友だちに誘われて、算命学も勉強をするようになったんです」

ところが、ある日突然、大塚先生は営業への異動を命じられるのです。
「営業なんてやったこともないのでビックリしました。でも言われたらやるしかありません。東京23区の商店街を全部回りました。電話でアポ(イントメント)を取ろうとしても、占いと言った途端に切られてしまいます。だから直接足を運んで、飛び込みで交渉をするしかない。そうやって横浜赤レンガでのイベントなども取って来たんです」
東明総研は急激に変わりつつあり、人手が足りなくても走り続けるしかない状態でした。
「東明先生に、今すぐ横浜中華街へ営業に行け!と言われて駆けつけました。ところが交渉が成立して、お店が出来てお客さんが押し寄せて来るのに、コンサルタントが足りない」
緊急事態に面した大塚先生は、東明先生に直談判します。

「先生、私がやってもよろしいでしょうか」
「よし、やってみろ!」

こうして大塚先生には、唐突にデビューの日が訪れるのでした。
「中華街はドル箱で、目の回るような忙しさだったのです。アルバイトの中国人が、どんどん呼び込んでくるので、それを回転させていかなければならない。1日に100人くらいは見ていましたね。トイレに行くどころか水を飲む暇もない。隣で鑑定をしている東明先生には“大塚、声がでかい!”と、よく怒られましたが、時々こっそりとチョコを手渡ししてもらうこともありました」

No.1のコンサルタントに

結局大塚先生は、そのまま営業から運命コンサルタントに転向し、5〜6年間も続けてナンバーワンの業績を誇りました。冒頭にも記しましたが、大塚先生の持ち味は揺るぎない鋭い洞察力です。人生を左右するような重要な相談にも、東明手相、さらには東明運命学を基盤に積み重ねてきた結果で、はっきりと迷うことなく道筋を示すのです。

「物凄く働きもののクラブのママがいました。銀座、六本木など、いくつかのお店を持ち回りしていたのですが、雇用者も多いし、どうしても自転車操業になってしまう。働けど働けど、お金が流れて行ってしまうんです。私は、自己破産をしてゼロからやり直せば、働いた分だけ自分に入ってくるようになりますよ、とアドバイスをしました。さすがに責任重大なので、その後もサポートは続けましたけどね…。」
彼女は本当に自己破産の手続きをしましたが、幸い債権を主張する人も出て来ませんでした。
「とても綺麗で目立つ方なので、いろんなところでいびられいじめられ、とても苦労されたみたいです。でもようやくあるチェーン店を任されるようになり、マンションを購入することが出来ました。私にも、ぜひ遊びに来てください、と挨拶を頂きました」
さすがに東明先生も「大塚、いい決断をした!」と絶賛でした。

赤レンガ店には、上場前の株を売ろうと検討中の男性が相談に来ました。
「お金が苦しくなり手放そうと思うんだけど…、というご相談でした」
しかし大塚先生は、繰り返し説得します。
「どうか苦しいでしょうけれど、今は持ちこたえてください」
一方でことを起こすタイミングは悪くても、手相にはくっきりと財運線が出ていました。
それから半年後、東明総研本社に男性からお礼の電話がありました。半年後に上場された株価は、大きくはね上がったのです。
「お客さんがいらっしゃって“そうなんですよ、よくそこがわかりましたね”と、心がほぐれた様子で“元気をいただきました”“勇気をいただきました”と笑顔で帰っていかれる。この仕事の最大の成果は、お客さんの反応です」
どんな相談にも最適な答えを届けるために、今でも大塚先生は、日々勉強を続けています。

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