手相の基礎
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講座説明会

高山東明学院長コラム
見果てぬ夢へ・・・

手相との出会いは、私の人生を一変させました。手相の研究を進めていくうちに、周りの人たちと繋がり、それが大きな輪になって、気がつけばこんなに素晴らしい仕組みが出来上がりました。
私の足跡、現状、そして大きな夢を5回のコラムにまとめてみました。お楽しみください。  高山東明

●3回目 すべてはどん底から始まった

2016年12月26日更新

手相はすごい!

  私は実体験から、最大のピンチが最高のチャンスへと転じていくことを知っています。
 20歳代後半に著名な鑑定士に、初めて手相を見てもらいました。しかしもともと私は占いを信じるタイプではなかったので、完全に記憶から消えてしまっていました。
 この頃、起業し、最初から順調な経営が続きました。マンションや別荘も購入し、自分には商才があるとうぬぼれていました。ところが成功は嫉妬を生みました。営業部長に裏切られ、会社は一気に傾き倒産してしまいます。
 私は逃げるように東京を離れ、北海道へ飛びました。最初はサウナに泊まり込んでいました。住所不定の一文無しで、なにより食べられないのが悲しかったーー。ようやくアパートを借りても、60円のカップラーメンを2つ買うために、100円の電車賃を節約して1時間の道のりを歩いて帰りました。
 どん底で未来には一筋の希望も見えません。
 茫然と真冬の札幌で豊平川の畔を歩いていた時です。すっかり消えていたはずの手相占い師の言葉が、突然脳裏に浮かび上がったのです。
「あなたは30歳代で人生最大の危機に直面する。それは倒産、離婚、大病のどれかだ」
 稲妻のような衝撃が走りました。30歳の私は、本当に倒産していました。鑑定士は完璧に未来を予測していたのです。
 魂が目覚めるーー。そんな感覚でした。
 さっそく私は翌日から古本屋を回り、手相の勉強を始めたのです。

世のため人のために

 暫くして東京へ戻ると、販売の仕事を始めました。生活に多少のゆとりが出来ると、次々に友人を喫茶店に誘います。コーヒーを奢り、替わりに手相を見せてもらいました。その頃から、手相は統計学だと考えていました。だからできるだけたくさんのサンプルが欲しかったのです。
 ところがある時期から立場が変わりました。友人の方が私に「ケーキでもどうだ」と勧めて「手相を見て欲しい」と言い出すのです。旅行会社に勤める友人は、1泊2日のバスツアーを企画し、私に同行を促します。私は車中で手相を鑑定し、その代わり無料で温泉に浸かって帰ってくるのです。
 私の手相は当たり続けて、仲間内で評判になりました。友人たちは言います。
「高山、おまえは占い師になれ。きっと1億円を稼げるぞ」
 そして40歳で2度目の転機が訪れました。妻と一緒に帰宅途中の出来事でした。真冬で底冷えがしていましたが、それにしてもひどい悪寒に襲われ、体がガタガタと震え始めるのです。ただし神経を研ぎ澄ましてみると、震えているのは体ではなく、私の魂でした。なんだかこのまま自分がどんどん縮んで、蒸発してしまうような気がしました。そして次の瞬間、私の体から魂がサッと抜けて、頭の斜め後ろから自分を見下ろしているのです。これが幽体離脱というものなのでしょう。
「死んでしまうのかな…、人生はあっ気ないものだな」
 そんな思いがよぎりました。
 ところが死ぬのかと思った瞬間に、魂はスッと戻って来たのです。
 この“臨死体験”が大きな転機になりました。私は、自分が死ぬことを実感したことで、これからは世のため人のために生きて行こうと決めたのです。そして手相が、その手段になると確信しました。
 とにかく10年間は、黙って手相の研究に取り組もうと考えました。「東明総研株式会社」を創設し、手相を学ぶ「東明学院」と、鑑定をする「東明館」を起ち上げます。上場100社と契約し、社員の鑑定を始めました。また執筆した本は、27万部を超えるベストセラーになりました。しかしそれでも9年間は赤字が続きました。この間、社員への給料の支払いを優先して借金を重ね、私自身はまったく給料をもらっていなかったので、気がつけば愛想を尽かした妻が去ってしまいました。
 しかしけじめの10年目で、遂に会社が黒字に転じました。創設当初は次々に関東のテーマパークに進出しました。日光江戸村を皮切りに、浅草花やしき、西武遊園地、西武線、豊島園、東武動物公園、八景島パラダイスなどに出店。直接大きな利益にはつながりませんでしたが、これが実績となり、今度は有名商業施設から注目され信頼を得ることが出来ました。イオンモールや横浜赤レンガ倉庫に店を開き、JRの駅ビルにも入りました。また「東明学院」ではプロ養成コースを創設し、勉強をすれば仕事が出来る仕組みを整えました。ようやく会社も軌道に乗り始めたのです。
 会社を建て直すことが出来たのが、私個人の力だとはまったく考えていません。逆に気がつけば、私のもとには優秀な人たちが集まり、しっかりと支えてくれたのです。
 私は決して優秀な経営者ではありません。しかし知識が人を引き寄せたのだと考えています。そういう運命は、手相にもしっかりと刻まれていました。

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